昨日は祖母の命日だったので、お墓参りに行ってきました。
電車を乗り継ぎ、一人で墓参り
母は前日に行っていたので、私一人でお参りしました。
慣れない電車の乗り換えに戸惑いつつも、乗り換えアプリの示す時間の2倍の時間をかけて到着。
袖をまくりたくなるような気温の中、お墓に向かいます。
死因はコロナ
昨年、84歳で亡くなりました。
コロナ感染によるものでした。
祖母は認知症により介護施設に入っていたのですが、施設でクラスターが発生し、祖母も感染してしまいました。
感染後、約1週間で祖母は亡くなってしまいました。
今はどうか分かりませんが、当時は感染防止のため遺体に触れることができませんでした。
通夜、告別式、四十九日法要はまとめて実施しました。
しかも、親族には高齢の方も多かったため、感染防止の観点で娘(私の母)家族だけで行うという、かなり特殊で寂しいものでした。
まぁ、普段絡みのない親族に気を遣うみたいな場面が生じなかったのは楽でしたが…
最後に会ったのは祖母の定期検診の時
定期検診の時に施設の外に出るということだったので、検診してもらう病院に赴いて数分間会うことができました。亡くなる半年くらい前だったでしょうか。
その時はちゃんと私のことも認識してくれて、「よぉ!」という明るいノリで挨拶してくれました。笑
でもこれ、私が前職を辞めて実家に戻っていなかったら、こうして会うことはできなかったんですよね。
何か運命的なものを考えずにはいられません。
羨ましいくらい自由で多趣味だった
私の祖母は多趣味で、茶道に書道にフラダンスにと、なんでも手を出して楽しんでいました。
好きなことをやりまくるというのは理想の人生だと思います。
もっとも、娘である私の母はそれに振り回されて大変だったようなので、限度は認識する必要がありますが…_(┐「ε:)_
多趣味さは買い物にも現れていて、晩年はボケも加わってエスカレート。
テレビショッピングで掃除機を2台買うみたいなのがしょっちゅう…。
余計な生命保険や医療保険にもしっかり入っていましたね〜。(その辺の話はまた今度。笑)
墓石を磨きながら考える
お線香を持っていくのを忘れるという失態。
なんとも適当な墓参りだなぁと自虐しつつ、墓石を拭く。
生まれ変わり、死後の世界。これらはあると思いたい
人は死んだ後どうなるのか?
誰もが考えたことがあるテーマですよね。
私は、
生まれ変わるか、あるいは全く別の世界に行くか
このどちらかはあるんじゃないかなと考えています。
根拠はありません。笑
でもそうであった方が救いがあります。
家族や友人への愛情や友情を置き土産として現世に残し、魂そのものは次の身体か死後の世界に旅立っていくのです。
こんな風に考えると、多少前向きに受け止めることができます。
だから、私は泣かなかった
祖母が火葬された時、私は泣きませんでした。
「何でもかんでも手を出すばあちゃんのことだし、こっちの気も知らずに新しい世界を楽しんでるよなぁwww」
「守護霊みたいに、私たちのことを何処かで見守ってくれているんだろうなぁ。^^」
こんなことを考えていたからです。
また、祖母があまり苦しまずに逝けたことに、ほっとしていました。
もちろん、呼吸ができなくて相当苦しかったはずです。その苦しみは私の想像を絶するものでしょう。
しかし、数年間の辛い闘病生活を送った末に亡くなってしまう方々に比べたら、数日の苦しみで済んだのはまだマシだったのではないかと考えてしまうのです。
もちろん、できるだけ長く生きてくれるのが一番嬉しいんですけどね。
生まれ変わりや死後の世界があるなら、「永遠の別れ」は「んじゃまた後で」に変わります。
手を合わせて話しかける
近くのスーパーで購入したお花をお供えし、
「そちらは楽しんでますかー??
俺は個人事業主として頑張っていくんで応援よろしくね!
母さんのことも見守ってくれると嬉しいなぁ^^」
そんなことを心の中で話しかけながら、手を合わせていました。
再会に備えて精一杯生きていきたい
おそらく多くの故人が、遺された家族や友人が幸せに暮らしていくことを望んでいるはずです。
私が死ぬ時には、そう願うと思います。
だから、現世を生きている私たちはその想いに応えましょう。
前を向くためにスピリチュアルなことを根拠にしたっていいと思います。
(もちろん、他の人に迷惑をかけないならば、という条件付きですよ!)
人生はあっという間です。
すぐに私たちもそちらの世界へ行くことになります。
私自身が寿命を迎える時に
「後悔のない人生だった!」
と笑顔で言えるように、
遺される家族や友人に対する愛情や友情を大量に置いていけるように、
そして故人に再会した時、
「あれからこんなことがあったよ」
とたくさん報告できるように、
現世での日々をきちんと過ごして、目一杯思い出を作っていきたいですね。^^
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